夜勤明けの一人時間が唯一の楽しみだった思い違いの看護師時代 | 私を変える100の方法

夜勤明けの一人時間が唯一の楽しみだった思い違いの看護師時代


おはようございます!
江美です。
 
 
〜夜勤明けの一人時間が
 唯一の楽しみだった看護師時代〜
 
 
今日は、私がなぜセラピストとして
起業するに至ったのかについて
お話ししますね^^
 
 
私は、教育熱心な母の元で育ち、
勉強!勉強!と言われることから
早く自由になりたくて、
大学に行けば自由になれると思って
大学生になりました。
 
 
ですが、
母に怒られない成績を取るため、
大学に受かるために
「ちゃんとしなくちゃ」と
勉強してきた私は、
 
 
就職活動をみんなが精力的に
行い始めた頃に、
大学受験がゴールだった自分には
「やりたい仕事がない」ということに
気づきました。
 
 
そんな中、母の闘病をきっかけに
母が信頼する
「看護師」という職業

を知り、
 
大学卒業後に看護学校へ進学し、
晴れて25歳で看護師になりました。
 
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長かった学生時代と
自分が何者なのかを探した
時代を抜け、
「看護師」であることは
私の1つの勲章となりました。
 
 
その頃の私には
理解できていませんでしたが、
母の望む学力に
いつも達せなかった私にとって、
 
 
ようやく母の認めてくれる職業に
就けたことで、ホッとしたような、
答えが見つかったような感覚を
持っていたと思います。
 
 
ようやく自分の
生きる理由のようなものを
見出せた瞬間!
 
 
それから、出産、子育て期になると、
看護師と子育てを「ちゃんとやる」
ことに頑張りました。
 
 
私の楽しみは、夜勤明けに
一人でサーフィンに行ったり
エステに行ったり、
自分時間を過ごすこと。
 
 
自分さえ寝ないで頑張れば、
自分だけの時間が生み出せる!
アラサー時期は
眠いけど快適でした。
 
 
ですが、この「看護師」の勲章と、
「ちゃんとやる」に
縛られ続けた生活は、30代に入り、
苦〜い時期に突入します(^^;;
 
 
今ならその
勲章にすがってしまう心理は
自分を幸せにはしないことも、
 
 
「ちゃんとやる」の思い込みも
手放してしまえば
どんなに楽に仕事も子育てもできたか
も簡単に説明できますが、
 
 
当時の私はわからないまま
どんどんドツボに・・・(泣)
そこでセラピストの原点となった
どん底体験をします。
 
 
誰かに認められるために仕事を選び、
自分の健康をないがしろにしては、
人のお役には立てても
自分が幸せな人生には
いつまでたってもならないもの。

 

いつも人が認めることがゴールになり
自分を見失いがちだった私が

どのようにセラピストとして起業して
自分が幸せでありながら
人に幸せを手渡せるようになったのか

 

しばらくシリーズで
お伝えしていきますね^^

 

私も頑張ります。
あなたも頑張って!

 

今日もスマイリーな1日に
なりますように。⭐(^ ^)⭐

 

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